塩尻桔梗ヶ原Wine物語

◎桔梗ヶ原の葡萄

松本平の南側に拡がる桔梗ヶ原は、長野県を代表する葡萄の産地です。

ここに初めて鍬が入ったのは明治2年のこと。井戸は30メートルも掘らなければならないほど水の便は悪く、汲み上げた水は鉄分が多く、開拓者達は雨水に頼る生活の上に、厳しい冬の寒さとも闘わなければなりませんでした。それでもやがて開拓者達の努力が実り、畑作が拡がっていきました。明治中期には農村振興のための国や県の指導もあり、葡萄を中心とした果樹園地帯へと変わっていきます。当時植えられた20数種類の葡萄は淘汰され、百年の風雪に耐えて残ったのはコンコード、ナイアガラでした。この両品種は、米国マサチューセッツ州コンコード市とカナダのオンタリオ州とニューヨーク州のナイアガラの滝附近に広く栽培されている典型的なアメリカ種で、両地方の風土が桔梗ヶ原と似ていたためか、現在では我が国有数の産地になっています。

生産量が増加するに従って大正時代にはワイナリーが進出し始め、アメリカ種特有の香味のあるワインが生産されるようになりました。同時に、農業の近代化で農家の収入も多くなり、豊かな農村へと変わっていったのでした。  この状態が十数年も続いたある雪の少ない年、零下10℃以下の日が数日続きました。その結果、多くの葡萄は芽は出るものの実がつかない「眠り病」にかかってしまったのでした。しかしこの中で、葡萄の搾り粕など有機質肥料を使用し続けた農園は被害を受けなかったのです。化学肥料に頼り過ぎた結果、土壌の生態系が破壊され、土は硬くなり徐々に葡萄の味も低下していき、病気にも弱くなってしまったのです。これに気づいた農家は、再び堆肥を使うようになりました。

やがて葡萄の搾り粕や藁などのリサイクルによって、健康な土壌にはミミズやモグラが住むようになり、自然の生態系を取り戻した農園からは再び美味な葡萄が実るようにりました。

長野県塩尻市

桔梗ヶ原

コンコードの房

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